2019/06/07 22:04

20115月、震災から2ケ月後に、有機農業を続けるために飛騨に移転。

清らかな水の流れが何といっても好きで、流葉山の風貌と共にこの地に惚れてしまった。

 

この自然豊かな大地を耕して行くぞ!

そうした氣概で「鍬入れの儀」


(お借りした大地に鍬を打ち込み、この地を耕して行く。という誓いを立てる。)

を行ってその年から営農をスタートする事ができた。

飛騨地区の皆様の温かく手厚いサポートのお蔭様以外の何物でもない。。。

 

この地で取り組もうと考えていたのは、

千葉にいるときから栽培を始めていた

夏秋イチゴ(四季成り品種)のカムイレッドとティンカーベリー 

この品種は味も美味しく冷涼な気候を好み、千葉で栽培するよりも条件的に合っている。

そして夏と秋にはイチゴの需要はあるものの国産は極わずかで輸入が大半。

そんな中で飛騨で無農薬でイチゴを成功させたい。そんな想いだった。

 

岐阜県の農業関係者の方々や、実際に高山で夏のイチゴを栽培していた方からお話を伺うと、

以前行ったことはあったが、上手く行かずに失敗した。

という話であった。

 

やってみなければ分からない。

2012年から栽培を開始。

春先から6~7月までは調子は良いが、

その後病気や虫害が出て収穫が極端に落ちる。

年々収穫量も落ちてゆく・・・

 

並行して栽培していたトマトやミニトマトの味が良く、

評価も高まっていたこともあり、

徐々にイチゴ栽培への気持ちが薄らいでしまっていた。

それでも、少しだけでもなんとかならないかと細々と苗の継承と栽培は続けていた。

 

とてもお世話になっている地域に、

なんらかのご恩返しができれば

という想いと、

2013年にご縁のあった

NPO法人Earth as Mother

「農と福祉で地域コミュニティー創り」

という考えが合致し、

農福連携や生活困窮者事業も

ご指導を頂きながら進めさせて頂いている。

 

様々なご指導を頂いているNPOの理事長に、

主とする作物についてお尋ねすると

「イチゴ」と教えて頂いた。

 

2018年それまでのハウスから

別のハウスに苗を移し替えて、再チャレンジ。

雪解けの春には、殆どが枯れてしまっているように見えた苗が、

少しずつ息吹を吹き返してくれた。

夏の酷暑にも病気にはならなかったが、実が殆ど付かなかった。

 


そして迎えた2019年、鍬を入れてから9年目。

一昨年、昨年と就農以来、

最低を更新してしまった営農・・・

 

全てを見直し、心を立て替えさせて頂き

真摯に謙虚に作物に向かわせて頂いています。

 

 

そして、飛騨市から受託させていただいている

社会生活に不自由さを感じていらっしゃる方の

復帰を支援する事業も

いろいろな面でタイトになりつつも

利用された・ている方々の

復帰や自立へのお手伝いも

市のご協力と心優しいスタッフの想いと

NPOのご指導のお陰様で

有難いことに進んでいる

 

 

 

昨年秋に植えておいた苗をはじめ

越冬した苗からイチゴが成ってきている。

同時に虫も増え始めてきた・・

 

イチゴのハウスも新たに広げて3棟に。

順調に育って下されば、

7月下旬頃から夏のイチゴが実り始める・・・

 

 

このイチゴを諦めきれないのには、

理事長の「イチゴ」という一言が最も大きい。

 

イチゴはやはり、

見る人、食べる人を幸せにする力が

すごく大きいように感じる。

 

そして、需要はあるにもかかわらず

国産の夏秋イチゴは供給量が少なく、

しかも有機認証の夏秋イチゴは

ほぼないのではないだろうか??

 

飛騨・神岡・流葉を

オーガニック有機農業の郷にしたい・・・

 

そこには、老若男女、障がいのあるなし、

そして社会生活に息苦しさを感じているひとびと・・・

そうした枠組みに関わらず、

みんなしてイチゴやトマトや

オーガニックの作物に携わり、

そしてそこから加工品が生まれ、

地域のオーガニック特産品が生み出され、

自然や人への思いやりの中で

繋がりの和が輪となり

仕事ややりがいが生まれる。

 

NPO法人Earth as Motherの理念、

人と地球にやさしい

「自然循環農業と福祉で地域コミュニティー創り」

がすすみ、

みんなが幸せに暮らせる地域に向かっていく・・・

 

その想いを諦めずに持ちながら、

9年目の飛騨の大地に向かっています。。。