2021/01/10 20:46

前回の投稿からかなり時間が経ってしまいました。
お待ちいただいていた方には心よりお詫び申し上げます。

日々の業務に追われ昨年末まで一氣に月日が流れてしまいました。
すみませんでした。


さて、栄養価の高いお野菜作りを目指す理由の一つ目は
日々の暮らしの中で、様々な化学物質を取り込まざるを得ない状況で、
デトックスのために、高栄養価の野菜が必要だということを申し上げました。

二つ目の
挫折体験と「ものづくり日本人」のDNA
について、また長くなり申し訳ございませんが、お付き合いいただければ幸いです。

2017年18年ころにかけて、
周りでお手伝いしてくださるお仲間は素晴らしいにもかかわらず、
自身の考え方が自分本位から抜け出せず、
栽培結果が、非常にひどい状態が続きました。

お米大豆も含めて、野菜の多品目栽培を2.5ha程度で行うには、
かなり計画性と実行力がないとうまくいきません。

結果として、お米は10a当たり60kg(慣行栽培では480kg平均程度)
野菜も出来不出来が激しく、何とか出荷して食つなぐ程度・・・

全てが中途半端。
そして、自身のできる人に依存してしまう体質が顕著に現れ、人間関係を悪化させ
結果として売上減、財務状況は悲惨なものとなり

果たして、自分が農業を続ける意味はあるのか・・・
そして、一時は、自身が生きる価値とは母親よりも長生きしていること以外に見つからない・・・

そんな精神状況にまで陥ってしまいました・・・

一番厳しい時に、
一番叱責してくださったのは、NPOアースアズマザーのお仲間です。

普通は絶対に嫌われるから言わないことを
本当に本音で遠慮なく私のために非常に厳しいことを言ってくださいました。

私に伝えるように依頼をされたのがNPOアースアズマザーの理事長です
そのお陰様で今があります。


もう一度、
もう一度やり直そう、
そして我流ではなく、

今度は今まで何度もご指導を頂いていた
NPOアースアズマザー理事長の教えに忠実にやろう。

そして、
どうせダメなら、自分が生き続けていくためにするのではなく、
人の身体に役に立つ、いいものを作ろう
その為の農業に徹しよう

それでダメなら仕方ない

そんな想いで再び日々を過ごし始めました

ちょうどそんな折に、

昔の日本人に関する動画に出会いました。

先の大戦・戦争前後での私たちの祖先の話
学校では教えてもらっていない幾つかの事を知りました。

その中で、終戦直後にソ連に連行され
戦争が終わっているにも関わらず、

日本から遠いウズベキスタンという国に
連れていかれ、

今でも現存しているナボイ劇場の
建設をさせられた日本兵の話がありました。

https://www.youtube.com/watch?v=eGFyq04mn3M
https://www.youtube.com/watch?v=GiwKd9IhH9k

後にウズベキスタンの要職に就かれた方が少年時代、
その現場に母親に連れていかれ、

見なさい、日本の人たちを、彼らはソ連兵が
見ていなくても一生懸命に働く
あなたもああいう人間になりなさい

そう教わったという話もあります。


現場では。建設のプロでもない兵士の方々が、
日本に帰りたい気持ちを持ちながらも

後にあの建物は日本人が建てたからおかしなことになった
などと言われないように、
キチンとしたものを建てる

そうして2年以上の月日をかけて完成したものでした。

その後、数十年の間に、2回もウズベキスタンを襲う
大きな地震に見舞われましたが、

町の大半の建物は崩壊しているにも関わらず
その劇場は、びくともせずにそびえたっていた

その光景にウズベキスタンの人々は
日本人への畏敬の念を持った

というのがあらすじですが、

私は恥ずかしながら、その動画を見ると
涙が出てきてしまいます。

戦争が終わって帰国できるはずなのに
異国に連行され、ひどい状況で労働させられながらも

日本人としての誇りを忘れずに
キチンとした仕事をされた先人たちの姿に

自身を重ね合わせ情けなかったということもありました

そして、日本人は、こうした責任感と
キチンと後世のために、人の役に立つために
一生懸命仕事をするDNAを持っている

そう実感しました。


モノづくり日本人のDNA

作物栽培は、ものとは少し違います
自然が奏でる命の息吹であり
自然の育みです

その自然の産物と食べてくださる人様との間に立ち
そこに人としての頂いた知恵を磨き、

いかに作物のお世話をしてお届けするのか
それが農業者の仕事である

人様の健康のお役に立つために
どのようにしたら「薬菜」ができるのか

環境を後世によりよい形で残してゆくために
農薬化学肥料不使用は当然のこととして

より環境負荷の低い農法は、資材は
どのようなものなのか

こうした考えを育みそして強く
させていただきながら

ただただ、これまでの先人がそうだったように
名もなき1人の農夫として

この飛騨の美しい自然環境を次の世代に残してゆく

そう想い
日々、田畑と共に心を耕す

そんな氣持ちでさせていただいております

とても長くなってしまいましたが
お読みくださいまして、
ありがとうございますm(__)m