2023/01/04 08:38

何処から来て、何処にいくのだろう

高校生の頃だろうか、そうした疑問が心の中に強くなってきていた

何故生まれてきたのか・・・

ただ、それを徹底的に調べたりするほどの熱意はそこには向けられなかった

学生時代
自分は変わっているな と感じていた

周囲で就活して将来展望を企業戦士となって生活設計を考えている同級生に
心の中で違和感を感じながらも就活もなんとなくしかしていなかった


この心の中の疑問は、
私の心にあるもう一つのキーワード

「みんな幸せになりたいのに、なんでなれないんだろう」

と共に、心の中に残り続けていた

これは、東京の下町で生まれ育ち、
母親が障碍児学級の教員であったことから
障害のある人や地域柄貧しい方々との接点が多く

ぼんやりと心の中で芽生え自然と育まれていた思いだった。



その解が、飛騨での暮らしの中で見つかった。




先の大戦による罪と思わされた認識と共に自ら断ち切ってきていた自身のご先祖様との繋がり
時間の経過とともに、アメリカの公文書等が公開され、
知り得なかった歴史の史実を確認できるような機会も増えながら、

日本の歴史教育で教え込まれたことだけが事実ではない
と考えられる情報が増えて来るにつれ
WGIPなるものの存在など
それまでのものとは全く異なる価値観にも触れられるようになってきた


縄文時代、1万年以上も日本列島にて続いた時代。
この当時の遺跡からは、いわゆる人を殺すための道具や
殺害されたような痕跡のある遺骨が見つかっていない
という


その頃とは水位は異なるが海に囲まれ四季がはっきりしている現代と同じように、
この日本は食べ物に困らなかった温暖な地域で、
栗を栽培していた事が証明されている

人を殺すほどの争いがなく、みんなが助け合って生きてきた1万年
そんな時代を連想させるのが私にとっての縄文時代

その平和な縄文時代をルーツに持ちつつ
様々な変遷をたどりながら、
ギネスブックにも載り現存する世界最古の王朝である天皇家を象徴として
現在に至る日本


飛騨には、その縄文時代の遺跡が数多く出土している。

つまり、縄文の頃から、地殻変動で地形が大きく変わってしまう様なことが
無かったために、現代に暮らす私たちの足元から遺跡が出てくるのだ・・・


その縄文の頃からの山々の木々の植生も、飛騨ならではの奇跡があった

森林組合に勤めていたという友人から聞いた話では、
高度経済成長期に都心でのマイホーム需要にこたえる為に
都心郊外の里山の木々が伐採され、スギやヒノキが植林され、
瞬く間に日本中が広葉樹の森から針葉樹の植林の森へと変わっていった。

さあ、次は飛騨の番だ。というタイミングでオイルショックが起き、
木材の価格が下落、植林は割りの合うビジネスではなくなり、
飛騨の広葉樹の森は針葉樹に切り替えられることなく守られた。


移住して11年が経過した今なお
縄文の頃から天地が変わるような大きな変動もなく育まれてきた飛騨の大地・山々から
「有り得ない」と思うほどの清流が
とめどなく溢れ出し、沢をつくり川となって日本海にそそいでいる。

この地だけは次の世代に残してゆかなければならない。

縄文の頃から続く、この山々、大地、
私が今この自然の素晴らしさを享受させていただいているのは、
まさに、縄文の頃から名もなきひとびとが、子々孫々の為に田畑と山々を守って来て
下さったからに他ならない

だから、私はそれに倣って、同じように、今の時代の中で、この地域の中で必要なことを
させて頂き、未来の子どもたちに繋いで行く、
そうした役割を持つ名もなき農夫なのだと


子どもの頃からの疑問が完全に解けた

私は縄文の頃から生きてきたひとびととDNAで繋がっていたのだ

そして、そうしたひとびとが連綿と紡いできた
子々孫々の為にこの美しい飛騨の自然を繋げて行く為に生きているのだ

何処から来て、何処にいくのか

それは縄文のひとびととの 飛騨の大地を通じて繋がっている感覚と共に
私の腑に落とされた

そして、争いの無い縄文時代の人々のくらしはきっと
「みんなが幸せ」だったに違いない

数万年の時を経ながら変容してしまった価値観や人の心「いま・お金・自分」
を省みながら


農と福祉で地域コミュニティーの再生を行うNPOのミッションが
完全に符合して腑に落ちた。


あとどれくらい命を頂けるのかは天のみぞ知る
である。

その時は、
願わくば 大好きな流葉のお山に向かって田畑を闊歩しながら
前のめりになって倒れて 逝く

そんな一生であれば 正に本望

その時まで、何があってもこの地でさせて頂きたい


そんな想いがこの紹介ツールを制作して頂く過程でよりリアルになってきました。

最後までお読みいただき
ありがとうございますm(__)m